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マンチェスターのニュー・ウェイヴ・バンドに見る、隠れたプログレの残り香

・序

プログレッシヴ・ロックは、その歴史的な経緯、そして音楽的な特質(プログレッシヴ・ロックというものの定義も難しく、日々その姿は変わっていっています)から、数多くのジャンルと親縁関係にあったり、逆に対立関係にあったりするジャンルを持っています。長尺志向が多いプログレなどに対し反動的なシンプルさを身上とするイギリスのパンクは一般に後者とされることが多いですが、それがより音楽的な発展を求めてさまざまの形を為した『ニュー・ウェイヴ』と謂われる一連のバンド群は、King Crimson『Discipline』が当時(ひょっとしたら今も?)賛否両論を巻き起こしていたように、プログレと複雑な関係にある場合が多いです。どちらもその定義が広く、漠然としているのがその一因であると私は考えますが、この文章では、その双方の幅広さから、半ば強引にリンク(と私が考えられるようなもの)を見出し、取り上げるバンドの新たな面を提示してみたいと思います。とはいえ、つい先程この2ジャンルが複雑な関係にある(=単なる対立/断絶ではない)と書いた通り、繋がりを見出せる部分も多く、またどちらも(その新奇さを謳うジャンル名からはいささか皮肉に感じられますが)成立から長くの時間が経っていたり、そもそも日本のニュー・ウェイヴには平沢進氏や佐久間正英氏などプログレ人脈が多くの貢献をしていたこともあり、こうした旨のことがらは、主にXTCやThe Police、Japan、This Heatなど人脈・音楽性にはっきりとしたリンクが見やすいバンドをテーマとしてそこまで珍しくもありません。新しい視点を見つけることを出来ればめざしたい、そんな文章をここに書いていき、また言及したいバンドに逐一言及していくときりがないということで、ここでは余りこの視点で語られることのない(少なくとも、私はそこまで聞いたことがない)ような、マンチェスター出身のバンド3つを取り上げてみます。

・その1 Magazineの場合

初期UKパンク/パワー・ポップの代表であり、今日マンチェスター/マッドチェスター・シーンとして知られる流れの嚆矢となったBuzzcocksの最初期のヴォーカル・Howard Devotoが更なる音楽性を求め結成したMagazine(つまり、Wild Flowersに対するSoft Machine若しくはCaravanのようなバンドですね)は、シュールさに溢れた構成の曲や、キーボードやサックスも目立つ編成、またバンドの成立が早期だったこともあり、今回記事に取り上げる4バンドのなかで最もプログレ・ファンに勧め易いバンドであるような気がします。メンバーの演奏技術が安定していて、またHoward Devotoの音楽的変化が一般的なニュー・ウェイヴ・ブームの到来に先駆けるものであったこともあり、BuzzcocksからMagazineへの変化は一般的なパンク・バンドのニュー・ウェイヴの模範であり、同時に異端ともいえます。両バンドが共にレパートリーとする以下の曲にその特徴はあらわになっています。

<Buzzcocks / Boredom>

<Magazine / Boredom>

シンプルなパワーポップであるBuzzcocksのヴァージョンに対し、Magazineのヴァージョンではパンクらしい部分も残しつつ、プログレ的とも言えそうなダイナミズム溢れるテンポ・チェンジやテクニカルかつ変態的なキーボード・ソロがフィーチャーされています(こうしたアレンジは、Magazineが先駆けたと言われる(特にネオ・サイケ系の)ニュー・ウェイヴに余り見られない特徴です)。

また、ここまでの顕著なプログレ性が表れていなくとも、ギター担当のJohn McGeochの吹く不協和なサックスがフィーチャーされていたり、

<Magazine / My Tulpa>

映画音楽を好むベースのBarry Adamsonのペンによるサスペンス的な緊張感と盛り上がりを含む曲があったり、

<Magazine / Motorcade>

初期のRoxy Musicなどと共通するようなキッチュさが初期の頃から前面に立っています(尤も初期からこうした論評は受けていたようですが)。

<Roxy Music / Re-make/Re-model>

2ndアルバムの頃になると、よりオルガンやアナログシンセ的な音色を多用したキーボードとバンドの演奏のダイナミズムによる構築的な世界観作りが顕著となり、この頃の音楽性にはディスク・ガイド『UK NEW WAVE(2003, シンコーミュージック)』の中などでVan der Graaf Generatorが引き合いに出されていたりもします。

<Magazine / Back to Nature>

<Van der Graaf Generator / Killer>

余談ですが、ギターのJohn McGeochはPeter Hammillと同じマンチェスター大の出だそうです。上に書いたようなVdGG以上に、Hammillが'70年代中盤に発表したアルバムと同門であることも頷けるような強いリンクを感じます(John Lydonはこの頃のHammillをフェイヴァリットに挙げていますし、プログレとニュー・ウェイヴのミッシング・リンクというより寧ろパンク/ニュー・ウェイヴの先駆けとこの頃の彼の音楽が言われているのは見る話です)。

<Peter Hammill / Gog>

<Peter Hammill / Nadir's Big Chance>

・その2 The Fallの場合

英国の皮肉で辛辣な気質を体現する頑固親父・Mark E. Smith率いる英国ニュー・ウェイヴの重鎮The Fallは、This HeatやPublic Image Ltd.などのバンドとも通ずるような、パンクが持っていた衝動をより推し進めた混沌を軸に持っており、一見プログレと対極にあるようにも見えますが、特に初期作品(Beggars Banquet(Operaじゃないですよ)に移籍する前のアルバム群)にはそこに起因する不協和なアヴァンギャルドさや、それにより構成される重たいダイナミクス、一方でクラウト・ロックにも通じそうな反復性、実験性が表れています(DOGUMPさんが以前レビューで触れていたクラウト・ロックの要素のうち、即興性に関しては微妙な所で、反復を強調するためかMark E. Smithがジャムを禁じた曲もあるそうです。クラウト・ロックはプログレでは例外的にニュー・ウェイヴと地続きな感覚を持つように語られがちなような気がしますが、The Fallのこうした面において、それでも存在している世代間の感覚の違い―反復からジャムに向かうクラウト・ロック的な演奏と、ミニマリズムを突き詰める(それ以外余り出来ないし、しない)というニュー・ウェイヴ世代の美学―が表れているような気がします)。

<The Fall / Eat Y'self Fitter>

Henry Cowをカヴァーしていたりもします。

<The Fall / War>

<Henry Cow / War>

1982年の5th、Hex Enduction Hourはどちらの要素も前面に出ている大作(LP時代にもかかわらず、1枚60分に及びます)で、映画『羊たちの沈黙』に使われた『Hip Priest』と、11分に及ぶラストの『And This Day』は白眉です。

<The Fall / Hip Priest>

<The Fall / And This Day>

Beggars Banquetに移籍してからの作品はアヴァンギャルド性がより希薄になり、より簡潔な構成の曲が時にダンサブルに演奏されるというスタイルがメインを占めていきますが、そのような時代にあってもCanのダモ鈴木をリスペクトした曲がアルバム(『This Nation's Saving Grace』)に入っていたりします。

<The Fall / I Am Damo Suzuki>

演奏がズレズレでやっぱり混沌としています。ライヴでは流石に合わせているそうです。

<Can / Oh Yeah>

・その3 The Durutti Columnの場合

上記2バンドと違って、Vini Reillyのギターを中心とするソロ・プロジェクトのThe Durutti Columnについてはプログレと接点のある言及を殆ど見たことがないような気がします(ViniがマンチェスターのRobert Frippと言われることがあり、それを余り良く思っていない(笑)、という記事を何処かで見たくらいです。Frippというのだって二人ともレス・ポールを使っているから、というくらいの共通点しか感じられません(笑))。

そんな彼の音楽のプログレ的な面を見出せる/見出そうとするのかというと、その要素は案外様々あるのですが、まずそのジャジーとも、フォーキーとも、ドリーミーとも取れる、ディレイを掛けたレス・ポールを指で爪弾く独特のギター・スタイルでしょう。初期の頃にメインに取っていたスタイルで、アルバムの曲の多くはリズム・ボックスないしサポート・ドラマーのBruce Mitchellに合わせて半ば即興的にViniがそのようなギターを弾いています。テクニカルな部分よりは(Viniは特にこの世代においては演奏の上手いミュージシャンですが)、メランコリックな浪漫主義(ドリーミーという意味でも、内省的で内面吐露的な、主観が中心にすえられているという意味でも)を前面に押し出していて、その感覚はテンション・コードの多用などもあり、本人も影響を公言するMaurice Ravelの音楽と共通点を見られる気がします。

<The Durutti Column / Sketch for Summer>

<The Durutti Column / The Act Committed>

<The Durutti Column / Bordeaux>

<Michel Béroff / Ravel: Jeux d'eau>

また、キャリアを進めるにつれマンネリを恐れたレーベル・オーナーTony Wilsonの声により、数多くのモチーフの組み合わせによって構成される19分弱に及ぶ室内楽風の曲をA面に含むアルバム『Without Mercy』も制作しています(初期からの急激なターニング・ポイントになったこの曲は賛否両論を巻き起こし、音楽評論家阿木譲氏などは1stなどと並ぶ最高傑作と讃える一方、本人は気に入っていないそうです。私はA面は素晴らしいと思いますが、B面がNY風のダンサブルなリズムで構成されているのにちぐはぐな感じを覚えます)。スタイルは大きく変わりましたが、受ける印象は以前と一徹変わらないものがあり、チェンバー・ロック的なおどろおどろしさというよりもより内省的でメロディアスな、どちらかというとMike Oldfieldなどと近いものがあるような気がします。それでもやはり、ギターの音色と、派手に向かわず憂鬱におちいっていくようなThe Durutti Columnのこの感覚は独自です。

<The Durutti Column / Without Mercy 1>

<Mike Oldfield / Ommadawn>

チェンバー・ロックの系列のなかでは、ギターの出て来る部分は少ないですし、ここまでの諧謔的な感覚はThe Durutti Columnにはありませんが、ZNRのロマンティックな曲が近いように思います。

<ZNR / Garden Party>

これほどの長尺曲を書くのはこれきりになり、この後、The Durutti Columnはそのロマンティックな本質を保ちつつもガットギターの導入、サンプラーの多用などを通して再び音楽性を変遷させていきます。

<The Durutti Column / Love No More>

<The Durutti Column / Finding the Sea>

・終わりに

長いこと書いてまいりましたが、やはり最初に半ば無理にミッシング・リンクを見出すと書いた通り、挙げたニュー・ウェイヴ・バンドの音楽のなかにプログレッシヴ・ロックの典型的なイメージを見出すのは少し難しかったように思います。以前@mila_hammillさんがレビューで触れていたところのプログレッシヴ・ロックの音楽的要素―ロックとそれ以外のジャンルとの融合(クロス・オーバー的)、組曲形式、変拍子の使用、器楽演奏の重視(インストゥルメンタル)、文学的な歌詞、また浪漫主義的な表現―のうち、特に組曲形式や変拍子の使用という要素は見出しにくく(あってもかなり異色作)、浪漫主義的表現と言っても重かったり荘重だったりといった方向というより、より滋味で内省的になりがちです。それでも文章では、初めに書いた通りなるべく新鮮な切り口を探してみようとしました。かつて一聴ニュー・ウェイヴを好みでないと断じた方にも、この私のこじつけた文章を読んで、何か新たな発見があったならばうれしい限りです。


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